足と靴 靴業界40年の知識をお教えします|靴のちょっとした歴史と作り方

こんにちはDr フットです。

今回から皆さんに「足を元気に」をテーマにお届けしていきます。

「足た天気になぁ~れ!」ってタイトルを付けました。

ズバリ!

これを見て頂ければ足の痛み~腰の痛みの原因や対処の仕方、靴と足の関係、

今の靴でいいのか、など様々な足と靴から発生する問題を解決していくことができ、

いつまでも健康で歩ける足、脚、腰を保っていけるはずです!

皆さんも一緒に足からの健康を取り戻し、明日の一歩を歩いていきませんか!

靴ってどうやって作ってるの?

皆さんも毎日履いている靴

本当はどこで作っているの、どうやって作っているの?

そんな疑問にお答えしていきます

どこで作っているの?

皆さんの良く知っている靴から説明していきましょう

スニーカー

以前(40年ぐらい前)は韓国(プサン)を皮切りに、台湾、中国、ベトナム、とどんどん生産国も変わってきています。

キャンバス生地のラバーソールシューズ(コンバース)がこの世に登場したのは1893年。

そしてスニーカーの原点と言える競技用スパイクが1895年(リーボック)に登場し、スニーカーという言葉自体は1916年に登場しました。(スニーカーの歴史)

革靴一般

今はもうほとんど少なくなってきましたが東京都台東区(浅草)を中心とした地域で生産をしています。

本店本社が台東区で生産が地方というケースも多いですね。

東京以外にも地方に点在していますが、やはり一大拠点となっています。

1870年(明治3年)3月15日千葉県佐倉の藩士西村勝三が大村益次郎から奨められ、日本で始めての西洋式の靴の工場を築地の入船町に創設したのです(日本靴卸団体連合会)

ケミカルシューズ

兵庫県神戸市を中心に生産されています。

1995年の阪神大震災で多大な被害を受けましたが、不死鳥の用の蘇りました。

しかし近年では中国などからの、安価で高品質な物の市場投入などから苦戦を強いられています。

ケミカルシューズが誕生したのは、昭和27年頃といわれている。戦後の物資不足に喘ぐ日本で、ビニールシートを利用した靴が神戸の長田で考案され、これがケミカルシューズの始まりとされている。(兵庫県より)

皆さんが普段はいている靴の生産地は大きく分けて以上のこととなっています。

ちょっと裏話

では難しいお話から雑学ちょっと裏話です

皆さんが今もっとも履いている靴は?

と聞かれるとやはりスニーカーではないでしょうか。

そんなスニーカーのちょっと裏話を3個お話します。

知っている方もいらっしゃると思いますが「へ~っ」てといわれる方も多いと思います。

ニューバランス(NEW BALANCE)のお話

スニーカーといえばどこを思い浮かべますか?

NIKE・adidas・PUMA・NEW BALANCE

そう色々とありますね。

忘れてはいけません、Reebok,CONVERSE、ONITSUKA TIGERも有名でした。

そんな中NEW BALANCEのお話です。

アメリカ・マサチューセッツ州ボストンを本拠するスポーツメーカー。

1906年に、当時33歳のアイルランド系イギリス移民のウィリアム・J・ライリーによって、アーチサポートインソールの製造メーカーとして開業する。

ライリーがこの時に開発したインソールは、ニワトリの足の爪にヒントを得たものであった。

その後、これらの技術を基に矯正靴の製造を開始。1930年代には、カスタムメイドのランニングシューズの製造を開始した。

そうなんです現在のスニーカーの基本を作ったといって過言でないメーカーが

「NEW BALANCE」なんです

しかも始まりがインソールと矯正靴のメーカーだったんです。

だから「足に取っていい靴」を最初っから考えているんですね。

そしてこんな方々もいらっしゃいます。

詳しくはNEW BALANCE

NEW BALANCE

NIKEとONITSUKA TIGER

ナイキ社のスニーカー以外を含むスポーツ製品は、全世界のスポーツ市場の中でなんと32%ものシェアを占めている超人気のブランドで年間売上高が1兆2000億円、そして従業員数は約22,000人という巨大企業です。

1964年、オレゴン大学にて陸上部のコーチを務め、自作のランニングスニーカーを制作していたビル・バウワーマン

そしてその陸上部の選手であったフィル・ナイトが共同で資金を出し合い、ブルーリボンスポーツ社を設立しました。

そのNIKEも元々は、ONITSUKAのアメリカの輸入販売元でした。

ブルーリボンスポーツ社

この名前の由来もフィル・ナイトが香港から日本のオニツカに来る道中に、

社名を考えている中で「ビールのブルーリボン」取ったのです(フィル・ナイトより)

オニツカタイガーと当時のBRS(ブルーリボンスポーツ)は極めて良好な関係で、業務提携により販売は大成功をしてアメリカの西海岸地域を中心に好調に売上げました。

しかし共同マーケティング会社を設立するまえにBRSは製造をし、契約書の盲点を突き、商品名の使用に関してオニツカタイガーを告訴し、和解金として2億円近い賠償金を強いられる事となっていきます。

オニツカ(アシックス)とはこんな曰く因縁があるのです。

adidasとPUMA

皆さんもよくご存じのadidasとPUMA実は兄弟会社ってご存じでしたか。

彼らはドイツ・バイエルン州ヘルツォーゲンアウラハにおいて共同で靴製造会社をしていました。

1949年、弟・アドルフは、自分のニックネームの“アディ”と姓の“ダスラー”を組み合わせた「アディダス」を設立。

兄・ルドルフはネコ科の肉食獣“ピューマ”から取った「プーマ」を設立しました。

しかしなぜ兄弟で二つの会社なの?

早く言うと兄弟げんかです!

しかもスポーツ業界や地方までも巻き込んだ!

そしてどんどんエスカレートしていって決定的になってしまったのです。

そんなお話が世界のadidasとPUMAにはあるのです。

靴ってどうやって作っているの

簡単ですが靴の製造工程を見てみましょう

靴製造工程

パーツ製作

◆甲皮といわれるアッパーを作る

◆中底、本底製作

吊り込み

中底
アッパーとラスト

靴の命ともいわれるラスト(靴型)と中底この二つが靴の大部分を決めていきます。

トウラスターといわれる機械で頭先を吊り込みます。
吊りこもれたアッパーと中底

靴のサイドを吊り込みます
サイドを吊り込まれた靴
そしてバックラスターで後ろ成型

ここまでで靴の基本吊り込みはできています。

・その後加硫(熱をかけることで成形)

・つま先の部分をカットして底を付け易く

靴面と底面に糊で接着

底の面と靴の面に糊を付けて接着

圧着といわれる底と靴面を圧力によって強度の強化。

そしてラスト(靴型)を抜く(昔ながらの製法は1日方の中で寝かせていました)「肩のまま置いている」

現在は加硫といわれる作業と冷却といわれる作業で儒位間短縮しています。

そしてヒールのついたものはくぎを打って製造工程は終了

中敷き
中敷きを入れた後、製品仕上げ

こうして1っ足の靴が出来上がっていきます。

こちらのメーカーは神戸では有名なメーカーできっちりと靴を作っています。

残念ながらこのレベルのメーカーさんはごく一部しかありません(数社でしょう)

他のメーカーさんはやはり価格の弊害で靴づくりは、決していいとは言えないのが実情です。

ここまでは製造工程でした。

いかがでしたでしょうか?

靴ってこうやってできているのです。

本当に履きやすくて疲れないの?

この段階で見て頂いた、スニーカーや特殊な靴のをぞいてそこまでの違いはないと思っていただいていいかと思います。

中にはいろいろとクッションや、衝撃剤を入れて緩和しているものもあります。

例を挙げさせていただくとパンプスなら「ワコール」サクセスウオークなど、

あとはコンフォートタイプの靴が挙げられると思います。

必ず靴紐調整や、ファスナー調整の利くものでなければ基本は無理だと思ってください。

紐やファスナーのない靴において履きやすさを求めようとすればやはりインソールが必要となるでしょう。

しかし残念ながら余り良いものがあるわけでもありません。

そして紐靴やファスナーの調整機能が付いた靴にもインソールが素晴らしい結果を導いてくれるのです。

市販で一般に販売されるもので自分に本当に会うものを探すことは至難の業だと思います。

まとめ

今回は靴のちょっとした歴史や生産地、作り方をご紹介してきました。

靴や足は自分のすべてを支えてくれています。

いい靴とは高価な靴ではありません!

自分に合った、そして私たちの健康を一番に考えた靴選びと足のケア、歩き方などは

これから長い年月を、健康で過ごしていくためには、必要不可欠なものです!

もっと大事にしてあげてください、自身の為に!

次回はもっと靴や、足について説明していきますね。

必ずこのブログを読んでいただければもっと快適な靴や、足のことを、

そしてご自身の健康や痛みの軽減、外反母趾などの悩みの少しづつ消えていくと思います。

そして快適に今日も明日も歩いて行けると思います!

ではまた続きをご期待ください。